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ワールドバード WATARIDORI

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2011.6.14-19 仙台・蒲生干潟 [東北・宮城]

仙台・蒲生干潟・日和山
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2011.6.15
宮城の村田を訪れた折は何度も途中下車して仙台・蒲生干潟を訪れて探鳥を楽しんだ所
思い出の場所を3.11大震災後初めて訪れた。
震災後3カ月を経過した仙台の駅前は以前と同じ姿で各方面行きのバスが発着していた。
バスは駅前から蒲生行きが出ていたので現地に行ける所まで行って見ようと思い乗車する。
車窓からの市内の中心部の光景は震災前と大きく変わっていなかったが、基幹道路は震災復興のトラックが頻繁に行きかっていた。
バスは蒲生の手前で折り返し運行していた。1時間に1本の運行で帰りの時間を調べて下車。
高砂橋まで出て七北田川沿いの堤防沿いをしばらく歩くと通行止めになり堤防下を降りて蒲生の街に入る。
家屋は残っていたが人影はなく廃墟に成っていた。
荒廃した被災地は埃と悪臭が漂っていて救済活動に携わる方たちの姿がまばらに見える程度で住民の姿は見られず至るところに廃棄処分待ちの車が道脇に置かれていた。、
海岸に近い所は電柱・家は押し流されて戦地の焼け野原を思わせる光景で以前の松林の防風林に守られた風情のあつた街並みは消えていて不気味であった。
以前あった日本で一番低い山と云われていた日和山は完全に押し流されていて場所を確認することが難しかった。
周りにあった養殖池周辺は瓦礫が残り干潟近くにあった野鳥が休息していた雑木林はなくなり自然環境が完全に破壊されていた。
被災された方に現地でお会いする機会を得た。
お話の中に干潟に防潮堤が完成した直後に大震災に見舞われた。
住民は防潮堤が出来たから大丈夫と思っていた人が、逃げ遅れてしまつた人もいて防潮堤が出来た事が不運な結果になった事を聞き残念な思いだ。
避難勧告が出た時に自宅に戻った人が逃げ遅れて多くの方が亡くなられた様子。
全てが無くなった海岸に近い住居跡に電柱が立てる復興工事が行われはじめたが、被災された方に今後どのようなかたちで復興計画が進められるか全く知らされていないので、この先何処で、どのように生活していったら良いか先の見通しがつかず不安である事を聞いた。被災地の状況をテレビ・新聞で報道されている現場を実際に自分の目で見て想像以上の悲惨な出来ごとにお見舞いを申し上げます。
亡くなられた方行方不明の方のご冥福をお祈りします。
現地で復古に携わる関係者の方々の努力に感謝して、一日も早く将来に向けた復興・発展基盤がなされ事を願うのみです。
蒲生干潟・日和山周辺
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仙台市中野小学校 校庭には瓦礫が集められていた。
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復興が進んでいます。
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